富野由悠季は、疑いなくアニメ史上最も有名で重要な監督の一人。『ガンダム』の生みの親であるだけでなく、ロボットアニメとSF全般に影響を与えた作品を残した、非常に多作なクリエイター。
このような伝説の人物に会う機会があったのは、第2回新潟国際アニメーション映画祭のときだった。富野監督はエネルギッシュで親切で、海外の人と自分の作品や映画への愛について喜んで語った。
聞き手: ジョワイエ・ルド、ワツキ・マテオ
協力: ワツキ・マテオ
編集協力: 前田久
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(中略)
Q:話がちょっと飛びますが、映画の話というと『幻魔大戦』はもともと富野監督が監督を担当されるはずだったそうですけど。
富野: 嘘です(笑)。そういう風な原稿を見たことはありますけれども、僕は喋っていません。『幻魔大戦』に関して言うと原作者の平井和正さんとは知り合いです。知り合いですが、その方の本性みたいなことがわかった時に、絶対に手をつけちゃいけないものですから、やる気はありませんでした。
Q:お二人はオカルトや超能力的なものがお好きなんですね。
富野: ニュータイプのことをある部分そういう風に捉えていらっしゃる人もいるし、『イデオン』を公開した時は、そういうグループからのコンタクトもありました。けれども違います。ものを考えるという認識論を究極的に突き詰めていくとひょっとしたら、オカルトチックなところに行くかもしれないという可能性は認めます。だけど、それはあくまでも心理学論として認めているということであって、オカルトというところには絶対いっていません。現に『イデオン』の場合……(苦笑)。ラストシーンがあるから、幽霊のオンパレードになってるシーンを作っちゃったらオカルトかもしれないと思われていますけど、あれは根本的に違います。実写だったらあれはやれないんです。アニメーションという媒体、絵というものだから、あれくらいまで表現しないと伝わらないだろうなという部分があってやったことで、必ずしもオカルトチックに考えていることではないんです。霊的なものに対しては、我々には憧れという部分があります。あるんだったら逆手に利用してこういう風に物語を締めるという方法があるんじゃないのか、ということを、巨大ロボットもののストラクチャーを使っていきながらやってみせたという作品です。今みたいに見られて評価してくれている評論家は一人もいません。どういうことかというとメカ好きのファンは、『イデオン』でさえ、ただの巨大ロボットものという規定でしか考えていないからです。
Q:実は、そのことについて質問があります。「イデの力」というコンセプトはフロイトのイドから来ていますか?
富野: 本当です。
Q:いわれてみれば、僕のオタクの知り合いも全然知らないですね、そういうことは。
富野: そういう意味で不勉強なのですね。「せめてフロイトの一冊くらい読んでおきなさいよ」という気分があります。
Q:フロイトの著作は、富野監督はすべて読まれているんですか?
富野: 僕はそれほど勉強ができる人間じゃないので二、三冊しか読んでいません(笑)。
Q:精神分析を受けましたか?
富野: 自分の精神分析をしました。その結果、どういうことが起こったかというと、『イデオン』を……特に劇場版の最後の仕事をやっている時に、僕は自分で「気が狂うかもしれない」ということまで覚悟しました。そのくらい怖かったのです。人間の欲望とか人間の精神の問題に隣接したところでものを考えていくと、自殺したくなるぐらいのところまでいきました。その状態を突破できないとすら思いました。けれども突破できたのは、アニメーションという媒体であったために、必ずしも、リアルに自分の身体性に全滅論みたいなものを受け止めないで、アニメーションという媒体がクッションになってくれて、生き死にのことも絵空事にしてくれたからです。本当に命拾いしたと思っています。
だけど四、五年前に『イデオン』を全部見返して自分でもびっくりすることがありました。(略)
※全文はソースで。
引用元: ・『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー [少考さん★]
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